AIの裏側

AIの台頭が謳われてもう何年か経つ。

近ごろでは、AI技術者の採用単価の高騰が著しいらしい。

 

大学で博士号を取り、何本か研究論文を持っている若い人材の年収はどれくらいだと思うだろうか。

指一本、と聞くと「え、20代で1000万円?」と驚くかもしれない。

しかし現実はそれ以上。1億円で交渉するというのだ。

とは言えこれはグローバルの話。日本国内でこれほどの金額はまだ聞いたことがない。

 

身近な生活や仕事でも、AI機能を活用したサービスや機能を見かけるようになった。

だからこそ優秀な人材は世界で争奪戦となっているのだろう。それは少しずつ、しかし確実に普及してきているのだ。

 

一方で、世の中にはITにあまり馴染みのない方もたくさんいるが、やはりIT技術に触れている者とは認識やイメージがだいぶ異なるようだ。

「人間が支配される」と怯えるかと思うと「なんでも解決してくれる」と盲信しているかのような声も聞こえてくる。

中には「信用できない高学歴の人間より、AIコンピュータが良い」という意見をお持ちの方もいるようだ。

 

この意見にも少々の違和感を禁じえない。

まず基本のキは、AIも生みの親は人間であることだ。

人間の赤ん坊には生まれ持った性格や個性があり、その上で教育されていくが、AIには独自の個性はない。あるとすれば、それもまた開発者が作り上げた基礎に特性がある場合だろう。

AI開発者は、大学など研究機関はもちろん、今やたいていのITベンダーに存在している。国内だけでも数百人では済まないくらいのエンジニア・研究者はいるはずだ。

彼らがそれぞれの技術力や経験、目的によって、AIを開発していく。

目的はあくまで「人間が望む成果に貢献するAI」なのである。

 

AIが人間の目的を無視して動くことがあれば、それは単なるバグ(不具合)だ。

人間に不利益を与える場合は深刻な障害であり、それをAIの暴走や知性の目覚めなどと拡大解釈してはならない。

バグは開発者の責任で始末するものである。

 

仮に暴走するとしたら、AIではなく人間である。

一開発者の偏った思想かもしれないし、組織ぐるみの計画的ななにかかもしれない。

いずれにせよ私たちが恐れなければならないとしたら、あくまで人の方だ。

どのようなAIを作る開発者(組織)なのか、目的は何か、から目を逸らさないことが正しい姿勢である。

AIそのものを恐れたり、逆に信頼しすぎてはいけない。

対象を誤ると、問題が起きた時の真の原因が見えなくなり、結局AIの後ろ側にいる知能の高い開発者たちに踊らされることになる。

 

自転車や自動車と同じと考えれば良い。

「便利だが、操(ってい)るのは人間」